2018年02月20日07:00
『へうげもの』に描かれる“侘び数寄”の世界・前編
http://blog.livedoor.jp/okada_toshio/archives/51545362.html

 じゃあ、『へうげもの』の中から、面白いところ、僕が好きなところを色々と紹介していきます。
 最初に話したように、本能寺の変とは、実は千利休が裏で画策して起こさせたことなんですけど。では、なぜ彼はそんなことをしたのか?

(パネルを見せる) http://livedoor.blogimg.jp/okada_toshio/imgs/c/7/c7474061.png

 これは、単行本4巻に描かれている一幕です。
 千利休の茶室に招かれた古田織部が、「そうか、この暗さは、微妙な場に窓を置き、所作のみを鮮やかに見せるため。
そして、この狭さは一切の無駄を削ぎ緊張感のみを増すため。ここは目を凝らさねばわからぬ恐るべき“数寄の要塞”なのだ!!」
っていうふうに言っていますね。

 千利休の極めた“侘び茶”というのは、無駄を削ぎ落とした先にある美しさなんですよ。
それを完全に表現した茶室を見て、古田織部は驚いているんですね。
数寄の要塞なのた?

(パネルを見せる) http://livedoor.blogimg.jp/okada_toshio/imgs/9/1/910c753e.png

 では、そもそも、“侘び”という言葉が何を意味しているかというと、実は“貧しさ”のことなんですよ。
「豊かさとは装飾であって、余分なものであって、それらを外して行った先の貧しさの中にこそ、
侘びという美しさがあるんだ」ということなんです。

 ところが、この侘びという概念は理解するのが難しいんですね。
「豊かな方がカッコいい」っていうのは誰でもわかるんですよ。
でも、「貧しい方がカッコいい」というのは、言われてみないとピンとこない。
師匠みたいな人がちゃんと伝えないと、
「要するに、貧乏くさかったら何でもいいんだろ?」って、みんなどんどん間違えちゃうわけです。

 つまり、千利休が完成させた侘び数寄という概念には、正解と間違いというのが明確にあり、この正解というものを、
お互いが切磋琢磨しながら目指して行くという、かなり知能指数の高い概念。
つまり、千利休の提唱する“侘び茶”という思想には教育が必要だということなんですね。
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