>>641
 なにより、こうした方が、リドリー・スコットの“レプリカント(複製品)”として作った映画ではなく、
 ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督自身の映画になったと思うんだよね。

 今のバージョンだと、やっぱりね、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督が、
 リドリー・スコットが作りたかったことを忖度して作っちゃってるように見えるんだ。

 新しいシーンを撮影しているような時間とか予算がないんだったら、
 「デッカードを助けるために死に行くKが見た幻」というラストシーンでもいいんだよ。

 例えば、『フランダースの犬』のラストでも、死に行くネロが
 「やっとルーベンスの絵が見れたよ、パトラッシュ」ってつぶやくと、
 天使が迎えにきてくれるよね。現実的には何もいいことなんて起きていないんだけど、
 あれを見て、俺たちは感動するじゃん?

 それはなぜかというと、これによってネロの正しさが認められた気になるから。
 そういう「誰かに認められた」っていうのがないと、やっぱり人間の心というのは不安定になるんだよね。

 だから、ラストは「人間とレプリカント、最後の希望の象徴であるデッカードとその娘を天から見下ろすK」で、
 その横でジョイが微笑んでいたら、もうそれだけでいいんだよ。
 
 その方が、『メッセージ』を撮ったドゥニ監督らしい映画になってたし、
 そういうラストだったとしても、ヴァンゲリスの音楽で終わってたら、誰も文句を言わない。
 なにより、その方がよっぽど『ブレードランナー2049』のテーマに近いと思うんだけどね。

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この記事は『岡田斗司夫ニコ生ゼミ』11月5日(#203)から一部抜粋してお届けしました。

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ライター:ヤムアキ(FREEexメンバー)