>>351
 じゃ、なんで僕はこういうふうに落ち込んだりすることを、
時間を決めたりすることができるようになったのかっていうので、
落ち込む時、心配する時、悩む時のコスパを僕は考えるんですよ。

 コストパフォーマンスですね。

 コスパが悪い落ち込み方はしないようにしてるんですね。

 具体的に言うと、何か悩んだり落ち込んだりすることっていうのは、
そのあとある、いいこのことのために落ち込んでいるはずだと思うんですね。

 たとえば、受験勉強というのはなんのためにするのかっていうと、
受験勉強という辛いことをしている時間×辛さの面積の合計値が、受験に成功して
いい大学に入って得られるものより少ないからこそ、みんな受験勉強するわけですよね。

 だから、東大勉強に4年かけて受験失敗している人は、僕はそれはもうすでにコスパという概念からして悪いと思うんですよ。

 こういうふうに見てください。
 こっちが嬉しい、こっちが辛いです。

 受験勉強というのは、1年しかやらなかったら、そのあと東大に合格して嬉しいことってこれくらいあるので、
なんとか釣り合いが取れるんですよ。
 ところが、3浪4浪5浪としてしまうと、辛いことの面積が東大に入って嬉しいことを上回ってしまうんですね。
 じゃ、こんな辛いことは辞めたほうがいいよと考える。

 同様に、悩むこと、落ち込むことも、悩みの深さとその継続時間によって面積がどんどん増えちゃうんですね。
 それによって得られる嬉しいことっていうのをあきらかに上回ってしまっているのだったら、その悩み方は下手だということになる。
 下手だというか、コストと得られるものという比率を考えていないということになる。