2010年、とある青年が大不況のなかで必死に勤労に励んでいた。
彼にはどうしても叶えたい夢があった、そのためにはお金が必要だと思った。
ボロ屋に住んで贅沢を一切せず最低限の生活をしながら寝る暇さえ惜しんで仕事に打ち込んだ。
そんな彼を周囲は気味悪がったが一向に気にしなかった。

2050年、定年退職の歳になっても彼は働いていた、独身だった。
平凡ながらも必死に働いて人並み外れた資産を溜め込んでいたが相変わらずボロ屋に住み贅沢は一切しなかった。
稼いだ資産を元手に何か事業をすればもっと効率良く資産を増やせたかもしれないが、
心優しく不器用で無才な彼には地道に働くことしか出来なかった。
そして、夢を叶えるために必要な技術の開発が思ったほど進んでいないことを憂いていた。
資産の一部を匿名で関連団体や企業に寄付したが研究はあまり進まなかった。

それから更に20年が過ぎた。
その間も彼は働いていた、於いた体でも出来ることなら犯罪以外はどんな仕事でもやった。
そして彼の夢を叶えるための技術はその間に大きな壁を乗り越え飛躍的に発展していた。

2070年、彼はとある企業の新製品の実用化第一号ユーザーになった。
脳とコンピューターを接続し、ヴァーチャル空間でどんな体験も可能な技術がついに実用化されたのだ。
彼は巨額を投じて理想のヴァーチャルソフトウェアと、寝たきりで生きられる全自動生命維持装置を作らせた。

2101年、時代は22世紀になっていた。
彼は110歳以上まで生きた、亡くなるまでの30年余りをヴァーチャル空間内で「美幼女として生きた」
システムの維持と改良に当てられた資産は多額が残っていた、遺言に従い関連技術の発展のために使われることになった。