◎名古屋とその周辺の高校事情【☆例外  五中=瑞陵 五ーイング、マイ ウェイ! ドラえもん?】

名古屋市内で唯一、旭丘(一中)に対抗心を持つ独立・自主の高校が、瑞陵(五中)。

今年、菊里が私服登校の公認を勝ち取るまで、
名古屋市内の公立で唯一、私服登校が可能だったのが旭丘。このことも旭丘が特別視される理由の一つであった。

しかし、 旭丘の校則には今も学生服着用との明文がある。
つまり、旭丘でも私服登校は校則違反。

1969年の学園紛争時(この年、旭丘では1000人が栄までデモを敢行)に左翼の生徒(初めは20名)が学校祭を機に勝手に校則違反の私服登校し(都立を含む全国で高校の一部が私服になったのもこの時。但、宮本洋一「私の履歴書(7)日比谷高校」によれば日比谷高校は1963年当時、既に私服だったとのこと)、
今でも校則違反の私服登校が継続中。当初、生徒会は公認化(=校則改正)を求めていたが、公認されず私服登校黙認というのが現状(生徒の敗北)。
私服公認(=校則改正)を勝ち取れなかった。

ちなみに、学園紛争時の旭丘では反体制の左翼は私服登校をし、体育会系の右翼は学生服で登校していた。
今の旭丘生は、左翼右翼の思想もなく、私服登校。
「わが旭丘、古はともかく今は哲学なし。」(by中江兆民)。

一方、 旭丘と並んで学園紛争が激しかったのが瑞陵。 旭丘丘に対抗心があった瑞陵は、 学園紛争時に旭丘のマネをしたくなかったので校則違反の私服登校をしなかった。
これが、昨年までは、名古屋で私服通学の公立高校が一校しかなかった理由。
(ちなみに、旭丘の私服登校は都立高校の私服登校のマネ。)

「旭丘は特別な高校だから、旭丘だけ私服」という理解は間違い。
「瑞陵が私服登校をしなかったから、愛知では旭丘だけ私服」だったのが正しい。

いずれにせよ、瑞陵抜きに名古屋の高校生の私服登校事情は語れない。