あの近畿大文系卒の塾講師の書いてることは殆ど出鱈目でかつ矛盾してることのオンパレードで全部書いてると収拾つかないから気がついたことをほんの一部箇条書きにして書いといてやるわ。

•高校の勉強が量が多く感じられて嫌気がさすのは、世界史、地理、生物などの下らん暗記物を強制的にやらされるからで、数学、物理についてはかなり少ない。

•近畿大文系卒の塾講師が42歳になるまでに出会った「運動神経抜群の人間」「北野のトップ」が「何人も」いるわけがない。そもそもそんな人間たくさんいない。それが近畿大文系卒の前に現れる数なんてさらに少なく微々たるもんだ。その微々たる人間を見て、近畿大文系卒の頭の人間が一般化した話なんて殆ど意味はない。出鱈目、嘘だらけ。

•特別な能力のない人間が40歳過ぎてるんだからおまえの人生決まってる。つまり、一学年20人の生徒すら集められなかったしょぼい塾講師が精一杯の人生だったということだ。それで「明日死んでもいい。」なんて人生に対する絶望の表明か?w

•「環境」にも色々ある。高校生ぐらいじゃどうにもならない悲惨な環境もあってその影響は甚大。

•レイアウトも含めれば本は千差万別。同じレベルの本なら扱う問題は同じでも、問題の配列具合が好みに合わないとストレスになる人もいる。その場合、教師選別と同じく気持ち良く勉強出来る本を探すのは合理的行動だ。

•「要領」っていうのは教師選別や本選択以外に本来の「やり方」についてのちょっとしたコツが馬鹿にならない影響をもたらす。

•「世の中には異常に努力出来る人間がいる。」なんて単独で言ったって何の意味もない話だな。これの「努力」を「才能」に置換えても変わらないからな。状況や段階で変わる。

他にも多数あったけどいまパッと思いつくのはこういったところだ。いくら近畿大文系卒って言ったって酷いもんだな。まあ、俺が生きて来てああいう人間は一人だけいたわ。あの近畿大文系卒の塾講師と同じように勉強とは無縁の学校で野球をやってた奴。あの近畿大文系の塾講師とそっくり。野球の才能がないところだけじゃなくて、頭が悪いのに口だけ達者なところまでw