熊高盛期の昭和40〜50年代なんて言うと、もう半世紀も昔だけど、、、。

その頃、県内には東京一工や旧帝、国公医、早慶などに多くの合格者を出す高校は
浦高と熊高だけだったからね。(川高が勃興するのは昭和50年頃から)
首都圏や全国区というレベルでは浦高の独壇場だったが、北関東で各県の
トップ校と競っていたのは熊高だった。
大雑把な感覚での難関大の実績比較では
水戸一=宇高=前高=熊高>高高>栃高=土一=川高>太高
という感じだったと記憶している。

春高は進学よりもスポーツ強校で有名で、大宮も野球が強豪で名を上げてた頃で、
早本などは未だ開校前の昔の話だけどね。