4学区制になって間も無い頃の天王寺高校進学者の出身地域は、
旧5学区が約25%、旧6学区が約35%、旧7学区が約40%とかって五木のデータか何かで見た気がする
新3学区になって1-2年くらいなのに既に他学区だった旧7学区生の割合が一番高くて、
旧5学区は東大阪とか八尾とか人口の多い地域を抱えながらも割合が低めで(その後もしばらく低めだったはず)、
高津信仰はあったかもしれないけど、それにしても高津はずっと振るわないので、東大阪地域が学力的に問題があったからではと今になって思う
そして旧7学区の高学力地域(富田林市金剛地区)は天王寺に丸ごと押さえられ、生野はそのとき既に息の根を止められてしまった感じ