川高は、1979年以前の学区制がなかった時代は、入試時点で浦高と明らかな学力差のある生徒
がくる学校だった。

学区制が導入されてからは、従来なら浦高に入っていた西部の最優秀層の内、都内有力国立私立に
流れない者が川高に来た。また比企でそれまで熊谷に行っていた最優秀層が川越を選択するようになった。
この浦高断念組と熊高から鞍替え組が、川高の進学実績を伸ばした。

しかし、いかに最優秀層が流入するようになっても、接ぎ木に過ぎない。根本と幹は、学区制導入前からの
川高だ。勉強至上主義とは縁遠い、我の強い個性集団。学生運動がさぞ激しかったんだろう。
部活と文化祭への強いコミットメント圧力がかかる。帰宅部、ガリ勉の肩身は狭い。

2003年、学区制が廃止されると、学生、父兄の好き嫌いは別れたと思う。最優秀層は川高を選ばなくなっている。
最近、学区制導入前のOBが「川越高校のリベラルアーツ」を書いてくすのき祭でも売り出した。学区制が無くなった
現在の川高と親和的なのだろう。同じ世代の浦高OBの佐藤優氏の「埼玉県立浦和高校 人生力を伸ばす浦高の極意」
とは一読で、学力水準と校風の違いが分る。