唐突に昔話を持ち出して悪いんだが、9学区制時代にあったとされる「地元集中」について、当時の事情に詳しい人、教えてほしい。
交野市か枚方市か定かではないんたが、「地元集中」のために、
どんなに成績が良い生徒でも、四條畷高校を受験できなかったというのは本当なのか?
最近オッサン同士の会話になって、「君、大丈夫だったの?」って言われた事があったが、マジッスか!?ってなってね。
俺は吹田市の中学生だったんだけど、当時の進路指導は茨木、千里、春日丘は成績次第で、
それ以外は地元集中で吹田市内の高校へ行けっていう指導だったらしい。
実際、俺は茨木に行けたし、千里、春日丘に行った同級生もいた。
そもそもが人権侵害の制度なんだが、交野か枚方で、四條畷に行けるか行けないかは、将来考えたら死活問題だろ。

地元集中って、進学校は関係なかったんじゃなかったの?