天理教のメリットという言い方は、棘がある。
天理教の人にとってみてれば、信仰をメリットで語ることの抵抗もあるだろう。
信仰は生き方や哲学であって経済用語ではない、と。
しかし、天理教を知らない人が天理教に接するときに
「天理教を信仰することで、人生にどのような善きことがあるのか」
という問いは自然な態度である。
思えば天理教も、立教当時は「病だすけ」という人間的メリットを契機とし、
布教戦略の本命に置いていた歴史がある。
その後に、いろいろな抽象的教義の肉付けがおこなわれたのだろうが、
「病だすけ」というメリットがなければ、
天理教がここまで巨大化することはなかったであろう。