体罰と組織の開放性について

大阪市立桜宮高校の体罰について思うこと。
テレビ以外での出版物を読む限り(テレビはあまり見ないので)、
この体罰を多くの識者が論じている。
体罰容認派、橋本市長の対応の是非、教育現場での公権力の介入批判、
桑田論などさまざまである。
私は基本的に、教育行政に関しては外部がとやかく言うべきではないという
スタンスなので個別事象については論じない。
しかし、せっかくなので今回は体罰を巡っての構造論的な視点や、
天理教的視点で考察したいと思う。
お正月に天理教の教会にいった感想は次回にする。