学問的意味については、それは天理教のお抱え学者(天理大学)がすればいいと
思います。
また、私はその真偽性を確認することに労力は注ぎたくありません。
しかし、その可変性をもった教義理解に対して現実問題にはなかなか適用できない
ことを信者は忘れてはいけないと思います。
つまり、添付していただいた神殿講話文ですが、
その中の「月日親神が心を尽くし切って創造した人間であるのに、
それを知らないで上層階級の人々が、
この世を自分たちの思うがままに支配しているのは大変残念である」
といっておられることは、今回の震災を読み解く上では大変ラディカルな疑問を
私は感じました。
他人事のように、あたかも天理教人は「私たちは高山に虐げられている」という
被害者面が感じられます。
これは内省という視点に多分に欠けるのではないでしょうか。
東大生が「俺さ勉強できないし」と言ってるような違和感を感じました。
私は教義の真偽よりも、私はその態度や考え方を問題にしたいと思っています。