「天理教は私たちの血税で運営される行政ではないからこういった問題は問題ではない」
と言われそうだが、私の周りでお金に苦労している天理教人は意外に多い。
それは、「お供えは気持ちだから」では済まされないような
かなり強圧的なものである。
教会単位では「来月までに○○万円お供えするように」と金額を指定することなど
ザラにあるそうだ。
それが、徳を積むため、いんねんを切るため、
などと言葉を換えて言われているのである。
実質的に下に行けば行く程「断れない」人達が増えているのは外れていないと思う。
本音と建前が実に巧みに作用されている。
私が天理教に入りきれない部分もそこにある。
天理教の人は本当にいい人が多いのだがね〜