結論として、宗教的言語概念をたやすく口にする人間は、
人間同士のより深部にあるものを見失っているということです。
ちなみに私は用木の人と話す機会があって、
その人が「神様は・・・」とか「それはいんねんだよ・・・」と
あたかもその人が自分を神様のように言うのを聞くと
「あ、こいつはダメだな」と思ってしまいます。
それは、人として間違っているし、そういう人はKYですね。
(おじさま達。最近若者言葉で『空気読めない人』のことを『KY』
と表現するようですよ。若者の超越した言語感覚にはほんと脱帽しますよね。)
用木はあたかも私が人間的に優れていると思っている人が多い。
(「この間お話したある用木はニュースの犯人を見て
「今こそだめの教えてを教えてあげなきゃ!」と
だいぶ見下ろした目線で息巻いていましたが。)
しかし、実際には「お前どうなんだ?人のこと馬鹿にしてんじゃ