ここでも私が一貫して言っている天理教と世間の橋渡しは成立しない。
物足りない。
では、どうしたらいいのか?という問いが次に発せられると思うが、
私はその答えを持っていない。天理教の専門家でも、子育ての専門家でもないからだ。
しかし子育てに関しては専門家は不必要だと思う。
なぜならば、子育ては苦悩しながら、挫折しながらするものだからだ。