もし私の違和感を共有していただけるのであれば、
今後天理教が何らかの支援を行うとしても、
それは天理教のためだと公言することは控えた方がいい。
例え、誰かに「天理教の布教戦略だろうぜ」と言われても、黙々と、
粛々と支援をするべきだと思う。
「私は天理教だから支援をします」というものではないと思う。
「あの人たちのおかげで助かってるよね。
ところであの人たちは、どこの人だい?天理教の人たちだよ」とあってほしいと思う。
なぜなら、助け合いというのは宗教が行うものではなく、人間同士のものだからである。