しかし、天理教人に深くコミットすれば、時には金銭のお供えを暗黙に強要され、
「お前は分かっていない」と信仰的未熟さを糾弾される。
信仰に疑問を持つのであれば、それは妥当性の検証がおこなわれることなく、
理不尽に信仰的低位者としてのレッテルを貼られる。
生まれたときから天理教組織に組み入れられている若者は、
発達段階にともなう社会的自立度に応じて多くの割合で信仰に対する疑問をもつ
傾向にある。
しかしそれらの傾向は「お前はまだ分かってない」「教えに正直に?バカになれ」
(人間思案を考えるなという意味だと思う)と抑圧され思考をストップされることを
求められる。
自分で考えることをやめたバカが、一人前の天理教人として見られるきらいが
あるのである。
つまり私が天理教の神を怪しいと思っているのは、
それを信じることで生が豊かになるとは思えないからである。
そして、それは天理教人の言動からでしか反応できない。
天理教人の言動を見ると、田川のいう「神が人間によって作られる」という
印象を脱却できない。
その典型は、天理教人が多用する「神様は」という神を主語にした
言動の多さであろう。
そこには、人生をかけて答えの無い信仰を求めるという率直な姿勢よりは、
傲慢で排他的な姿勢でしかない。