「天理教人が布教する社会の人間にとっても天理教の細かい教義史実なんて
どうだっていいだろう。」
「天理教という商品価値はどこにあるのだろうか。
信仰がなくても生きていける時代に、この問いは非常に難問である。」
この二つの問題は、非常に関連していると思われる。
道友社が売っている布教用チラシをみても、
そこに天理教の独自性が感じられるだろうか。
どこかで読んだことがあるようなことしか書かれていないように思う。
長い天理教の歴史の中で、
(仏教やキリスト教に比べれば、ごく短いともいえるが)
教祖の持つ魅力はそぎ落とされ、信者獲得、教団維持のための教理が大手を
振ってそこに入り込んでいる。
まずやるべきことは、社会に対して主張することではなく、
今天理教の中にいる人に、教理変遷の事実を伝えなければならない。
もしそのような活動を行うならば、
それは自ずと社会の(まずは宗教分野の専門家などから)中にも知られるようになって、
天理教の商品価値が認識されるようになるだろう。