天理教の人間はやたらとお道の人間と世間の人とを分け隔てているように感じます。
世間の人たちと自分たちは違う自分たちが特別であるかのような話にはうんざりします。私の知っている教会の人間はペテン師ばかりだと思っています。それくらい外と内の顔は違います。
社会に出たくてもその意思は通用しません。
天理教の会長は特に自分たちの子どもを社会に出さず社会に出ることが
道から外れている様な、間違いを犯すような気持ちにさせます。
社会の色に染められて天理教の精神を忘れてしまうのが恐いからなのか
何なのかは知りませんが、
教会や天理教の施設で生活している限り自分の意思は有って無いようなもの。
会長や先生と呼ばれる人の教えを守ることが信仰で、
その人たちの意に反することは、埃だの欲だのという言葉で切り捨てられるのです。