私は、こういった天理教の中途半端な姿勢を適宜批判してきた。なぜなら、
こういった課題を取り上げるたびに「じゃあどうしたらいいの?」という
現場の読者から質問をいただくからである。
天理教は何も回答しないが、末端の信者からは
「どのように教理を解釈したらいいのか」と意見を求めらることがある。
外部の私が回答できるわけがない。
天理教が臓器移植に反対の立場だからといって、
なかなか信者にその原理主義で固まった理路を提示できない。
それでは時代に逆行するだけでなく、「かしもの・かりもの」という教えがあるから
臓器移植に反対と言っていては、「陽気ぐらしと整合性がつかない」
という当たり前の違和感が信者たちにあるからだろうと察する。