20年後に天理教が社会のプレゼンスを確保するのであれば、
目先の年祭活動ではなく長期的視野に立つべきである。
天理時報の手配りなどと、ゆとり世代のような甘い考えではなく、
体力も知性もエネルギーも溢れる若者をとフロントに置いて社会と架橋させるべきである。
高度経済成長を経験して父権性社会の古典的な精神論だけで通用すると思っているのは
日本のまだまだ未熟な点であり、天理教を堕落させてきた点である。
日本の企業がそうしているように、
20年後に後期高齢者となっている者や60代以上の幹部は天理教のフロントから
退場していただき、若者に責任と信任を与えるほどの大転換をしなければ、
20年後に天理教の未来はない。
ということを三代真柱の死去に思う。