当の大教会長様たちは、そんなことは微塵も思っていないだろう。
「お与え頂いたものに乗っているだけさ」としか言わないだろう。
しかし、このような外から見て贅沢に映る現象の延長線上には宗教団体への課税という
流れがあることをどのくらいの人間が考えているだろうか。
天理教はまともな宗教団体なので宗教団体への課税が法制化されたところで
大きな問題ないというのは思慮が浅い。この場合、問題がないのは財布だけである。
大切なのは宗教団体は課税すべきだよねという「そういう目」で
世間から見られることである。
この問題は踏み込むと話が長くなるので割愛するが、外部からの
「そういう目」を容認することは天理教にとって非常に厳しいことになると思う。