正ちゃんさんが言及していない点は、まさしく離婚という「いけないこと」を
した人が、「夫婦」を強調した教義に対して何も思っていないという所です。
(これでは離婚当事者が抱えるべき一次被害をも無害化してしまう恐れがあります)
宗教者という他人の心情にセンシティブであるべき人が鈍感であると、自己を省みる
という宗教の本質を他者から剥奪してしまう恐れがあるのではないでしょうか。
私が主張しているのは一次被害は当事者が自分自身で抱える必要がありますが、
他者からの非生産的な二次被害は止めてあげましょうということなのです。
その自ー他の部分をごっちゃにしてしまうと、教義が濫用されちゃいますね。