これを件の天理教に当てはめるなら、早い段階で
「あれ?おかしいぞ。無担任教会が何年も放置されてる」と対応していれば、
こんなことにはならなかったはずである。
社会的には、宗教法人の税制優遇の批判的な流れは今に始まったことではない。
その怪しい臭いを感じ取れる人間が天理教の中枢にはいないというのは
致命的な組織的欠陥ではなかろうか。
そのような管理職についていく真面目な天理教人が不憫で仕方ない。
「教会」というものの意味性を教勢という体面で不透明にしてきた結果では
なかろうか。
そして大きな決断の結果によっては指導力のない直属教会長が白日の下に
晒されることになるのだろう。
教会が消えたら、その土地、財産はどうなるんだろう。