>>672
まだ分からんのか?
巷には実在する人物の死を取り扱ったドキュメンタリーや小説、絵画が溢れているだろう。
消費者は作品を通して個人の死を鑑賞し、憐憫を垂れたり、また自業自得であると嗤い、得意になったりし、娯楽として消費する。
また、最近では匿名掲示板やニュースサイトのコメント欄等で事故や事件の死を直接鑑賞するという事も盛んに行われている。
それと同じだよ。


鑑賞には多様な方法があるだろうが、中には不適切なものもある。
例えば「村上春樹の小説ってストーリー糞じゃね( ゚д゚)ノポイー」というのは小説の一つの鑑賞かもしれないが、村上春樹の小説の鑑賞としては相応しいものではないだろう(村上春樹ファンによれば、彼の小説はストーリーよりも雰囲気や世界観を味わうものらしい)。
同様に「芯の弱い雑魚が受験のプレッシャーに負けただけだろ( ゚д゚)ペッ」「不良生徒が勉強から逃げただけだろ( ゚д゚)ペッ」とするのは相応しい鑑賞とは言えない。
私はこの相応しくない鑑賞が、特に職員室内で横行している現状を憂慮し、正しい鑑賞の手がかりとして、青雲に弄ばれ殺された者のAAと、彼らの悲壮な死に様を聴き手の眼前に突き出し死の意義を質すCONVERGEの楽曲とを組み合わせたものを示した。


そこにキリストの死顔があるのだ