どれだけの能力を持って生まれるかも運だと思う。
カトリック的には、能力を持って生まれてきたのは神様に選ばれたんだから、世の中の為に能力をつかいなさいとなるわけだけど。
自分は仏教系の学校で、6年間、般若心経を習った。
最後に宗教の先生(坊さん)曰く、「でもね、こんなん、屁理屈なんですよ」「とどのつまり、社会がうまく回ればいいんです」的なことを言っていた。
まあその通りで、能力に応じて出来ることをやっていけばいいんじゃないかと思う。
能力がある奴はいいなと思っても、そいつらより更に能力のある奴はいる。
俺は能力ないなと思っても、更に能力がない奴はいる。
そこに執着しててもあまり意味はなかろうと思うよ。
能力に執着させて伸ばそうという考え、よく言えば切磋琢磨させる方法の弊害かと。
そんなものに捕らわれていたら損ではなかろうか。
自分自身そう思って生きてるけどね。