浦高の東大合格者が50~60名になったのは昭和40年代の都立学校群実施以降。
埼玉では従来、上位が日比谷、戸山、小石川、上野あたりに公立中学校段階で越境入学していた。
埼玉の上位が都立学校群実施で浦高に一部回帰で東大合格者が伸びた。
残りは都立越境入学から開成、武蔵、全国学区だった東京教育大附属駒場、学芸大附属にシフト。
昭和60年代から平成は都内中高一貫私学へ流出。
今に至る。