天理高 菱川和則 オナ禁マラソン [無断転載禁止]©2ch.net
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彼らの視点では、天理教教団が政治に対して消極的過ぎる姿勢も彼らを苛立たせているだろうと思う。 私は以前、「天理教教団は意見を明確にしろ」と言ったことがある(たぶん過去のブログで)
それは平和の会の人たちと同じじゃん?って? いえ、違います。
私が教団に対して意見を明確にしろと言ったことは、
平和の会が政治的意見を明確にすることとは水準が違う。
それを説明すると、私が「教団は主張すべき」といったのは、確かヒロシマや戦争を論じたときだと思う。
つまり、私が主張したいのは天理教の政治的スタンスではない。
戦争反対やNo more ヒロシマというのは政治的スタンスではなく
既に社会で合意形成された常識なのである。
(右翼などは政治的スタンスとして戦争賛成を言うが、右翼の根底思想は戦争を止める(平和達成)
ために戦争という手法を用いるというパラドックスであり、本来的には右翼は戦争を望んでいない) 戦争反対などという誰も望んでいない「当たり前」のことを主張しなさいと
私が言うのに対して平和の会は具体的な政治スタンスを明確にしろ、
と言っているのである。 国会を見れば分かるが、政党や派閥によって色々な意見がある。
しかし、どんなに意見が違おうとも根底には「日本を良くしたい」というものしかない。
私は当たり前のことを当たり前に言えと言っているだけ。 私の言っていることは政教分離において十分可能である。
しかし法律にあーだこーだと口を出すことは政教分離ではない。
彼らが行っていることは政治に干渉できる第二の学会でも作ることなのだろうか。
学会と公○党の関係を見れば、それが不透明で不健康なことぐらい皆知っている。
(同時に宗教全般に対する国民の畏敬の念を低下させている部分もなくはない) なぜなら彼らの意見(9条を守れ)が政治に介入することは、政教分離を否認することになる。
(書簡を出してまで、まさか自分たちの意見が通らないことを望んでいることはあるまい) どれにしても彼らの説明不足は否めない。
彼らが政治に言及する理由。
平和が目的なのに、わざわざ9条に固執する理由。
天理教という名を冠することへの理念。
これらにおいて私は宗教、政治、平和に対する軽卒さしか感じられない。 3周年大会において全国から30人弱の人数しか
集まらなかったそうである。会員は70人程度。
そのことを考えるなら、この会に参加しない天理教人は
怪しいものには近づかない、なかなか優れた身体感覚を持っているのではないかと思う。 それは宗教と人間というものをきちんとわけておられる点であります。
その融合を目指すために信仰があるのだと思います。
それがごっちゃになっている人は見ていてシンドイですね。
もちろん、そう考えた時に人間として尊敬できる天理教人は沢山おられると思います。
「誰に出会うのか」この問いが天理教を信仰する上で
致命傷になりかねる状況では天理教の信頼は高められないと思います。 >>792
自分が天理教だって描く好きなんだね
エルシーサイエンスは天理教 菱川和則を嘘求人はやめろ
http://www.jtg.co.jp/db/jtgg7t1.html
これまで日本を守る使命についてこられた自衛隊隊員の再就職で騙すのは悪質だ >社員の生活の安定を第一に考える
>未来を見つめた会社!
修養科に行くことを断るとすぐに解雇する会社のどこが
社員を大事にする会社なのか
嘘をつくのもいい加減にしなさい!
エルシーサイエンスの菱川和則 >製造・販売を行っています
販売はやっているよね、確かに。
中古販売
あと、キムワイプのルートセールス。
でも製造はしてないよね。
嘘はいけないよ、菱川。
個人経営で中古販売なら立派な事業だよ
盛る必要なんかない。 >韓国YLインスツルメンツ社の日本総代理店として、輸入、販売を全国的に行います。
そもそもこんな会社のクロマトグラフィーなんて誰も使わないんだわ
何でもっとユーザの多いメーカの代理店にならないの?
やっぱり日本では菱川和則の悪評が広まってるから代理店契約無理なんじゃないですか?
代理店契約料が高いとかが理由なら、私なら中古販売に特化しますね。
個人事業なんだから中古販売だって立派な事業
ニッチなところを狙って仕事をしていくのが零細企業の生きる道だからね 先週2人の天理教人と話たが、
揃って口にするのはコンクラーベが羨ましいということであった。
ほぼ世襲制を採用している天理教では、
その構成員が世襲制に大きな不満をもっているということであろう。
社会学的な見方をすると、世襲制は差別(階層)と密接な関連にある。
上から見ると、直線的な伝達ができるものの、
下から見るとどれほど頑張っても身分が低位固定される無力感となる。
意識的にも、無意識的にも、その延長には上位者による操作や、
抑圧が生まれることは歴史が証明している。
「おらぁ俺の言うこと聞かんかい」というように。
差別までいかなくとも、天理教のヒエラルキーにコミットする権力者は、
その階層に甘えている節が多々見られる。
特に理の親という権力者の組織に対する甘えは、構成員の不満として燻っている。
私見でも、天理教の権力者の言動は、
企業におけるメンタリングとはほど遠い甘えの姿勢が強い。
それらは修行の身である青年や信者に対する
「伏せ込み」「理立て」「修行」「たんのう」という言葉に置き換えられる。
しかし、常識的な思考をするほど、
それらの言動は組織に甘えた結果の操作であることに気付く。
会長と言われる人間と話せば、
彼らが信者たちに対して「俺が言えば言うことを聞く」という傲慢さに気付くだろう。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています