ここ2ヶ月ほどコンスタントに天理教的体験を多くしている。
その一つに、ある女性と話したことを振り返りたい。
詳細は割愛するが、その女性はタイトルにあるように「理の親」ということで悩んでいた。
天理教以外の方に説明するが、「理の親」というのは信仰の上での親のことである。
私を信仰へと導いてくれた人が「理の親」ということになる。
それが何故悩む原因になるのか。
それは「理の親」には、更なる「理の親」がいて、
その上にもその「理の親の理の親がいて・・・というように真柱あたりまで続く。
私も教義上の解釈や詳細は定かではないが、
信仰上の親という概念は間違ってはいないだろう。
教会単位で考えるともっと分かりやすい。
信者は所属する教会が「理の親」であり、各教会の理の親は大教会で、
大教会の理の親は教会本部ということになる。
似ている世界としては任侠の世界である。
私はつくづく天理教の世界はヤクザ世界だと思う。