そう、結局は数なのである。量的問題なのである。
これをもらったときに「結局、人としての教えどうこうよりも、頭数なんですね」
と私が天理教人に言ったとき、
天理教人は私の言葉がイマイチ理解できなかったようである。
「なにか問題でも?」とでも言いたそうな戸惑った顔であった。
確かに天理教人サイドからしてみれば、
神様に喜んでもらえるように一人でも多くの方に声をかければ、
その努力を神様は喜んでくれるという論理なのであろう。
しかし、天理教人以外からしてみれば、
「あ、私に声をかけているのはノルマだからなんだ。
ノルマがあるから、そんなに必死なんだ。
じゃあノルマがなければそこまで必死じゃなかったの?」と思うのは当然である。