確かに被包括関係の解消であるから、
そこから離脱することは一切の関わりを認めないということになるのは
社会人であれば理解できる。
しかし「陽気暮らし」を標榜し、「世界一れつ皆兄弟」
(世界中の人間が神の子であり兄弟である)を声高らかに言い、
盗人(米泥棒)でさえも赦したという教祖の逸話を披瀝している天理教である。
なんだかあまりに矛盾を感じるのは私だけだろうか。
教えとは裏腹に非常に心の狭い、冷酷な対応ではなかろうか。
やはり宗教といえど、社会契約でしか人を見ていない。
今の天理教には許しや、寛大な心なんてものは教団からはまったく窺えない。
「包括関係は解消だね。ただ何か困ったことがあったら協力するね」
くらい言えないものだろうか。
それとこれとは別ということは理解できるのだが、人助けを宣言しているくせに、
あまりに人間味がない。
天理教が宗教である意味が私にはわからない。