学区やア・テストが健在だった時代だが、中学の担任に無理矢理
平塚江南を受験させられた。当時は公式野球部がなく、高校野球
をやりたかったので、大磯を希望したが認めてもらえなかった。
担任に対する反抗心から国語の試験を白紙で提出した。後日、校
長室に呼ばれて注意を受けたが、試験の結果は合格であった。不
合格になれば2次募集の学校を受験できると考えていたのだが、
予想を裏切られた。所詮、平塚江南はその程度のレベルの学校だ。
しぶしぶ入学したものの、結局学校へは行かなくなり、大検を受
けて大学へ進学した。