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英國の歴史家、アーサー・ブライアント卿の著書「未完の勝利(Unfinished Victory)」(1940)によると、
「この千載一遇の機会を掴むことが出来たのは、國際的な集団に属し、金融に関する世襲の才能を持っていた猶太人であった。彼らはそれを実に効果的に成し遂げたので、1938年11月時点、つまり反猶太政権と迫害の5年を経てすら、ベルリンのタイムスの特派員によると、彼らは未だライヒの不動産の三分の一程度を所有していたそうだ。
それらの大部分はこのインフレの最中に彼らの手に渡ったものだ。しかし、これら全てのものを失った人々にとっては、この途方に暮れる譲渡は、恐ろしく不正義に思われた。長期に亙る艱難辛苦の末に、彼らは自分たちの最後の財産を奪われたのである。彼らは、これらの所有物が全く知らない人間の手に、その大半が同じ犠牲を払ったものでもなければ、自分たちの國の規範や伝統にこれっぽちも敬意を示さない人間の手に、渡るのを見たのだった。」

1923年のインフレは、結果として、独逸史上最大の、ある集団から別の集団-独逸人から猶太人-への財の移動となった。そして、予想される通り、これにより、猶太人に対する激しい怒りと敵意を持つようになった。

これだけではまだ充分でない、と言わんばかりに、インフレのすぐ後には、世界大恐慌が起こり、既に脆くなっていた独逸の経済は特に酷くやられた。独逸の失業率は恐慌の最悪時には欧州で最も高く、30%に上った。これは、米國での24%をも超えるものであった。独逸の大恐慌は米國より単に酷かったのではなく、ずっと深刻であった。悲嘆に暮れる親が、飢える子供たちをどうする事も出来ず、死んでいくのを看取る事しかできなかった。
人々は家を失った。梱包用の木枠で作った掘っ立て小屋の町が独逸中のあちこちの街にそして森に現れた。彼らは生き残るために炊き出しのスープを蕪、馬鈴薯、雑草などせびり取れるものは何でも使って作った。