死後の行き先は死に方によって変化が起きるのか気になる
寿命で死ぬか自ら断つか誰かにぶっ殺されるか

例えば魔女さんがサイコパスのオカルト否定派に
「カルトなんざ存在しねぇよ!」とぶっ殺されたら
行き先は温情をかけられ得をする場所へいくのだろか?

もうひとつは昔話の絵本なんだけど
村はずれの土手に木彫の仏さんがぽつんとたたずんでいて
村人のばあさんが見つけて拝むんだけど仏はにせぼとけで
「おらぁ そんな力ねぇだぁ」と拒絶すんだけどあまりにもばあさんが毎日きておがむから
その気になってほっきしてまねごとをするのだけれどやはり何も起きず「むりだぁ」という
ちょうどその時 偶然にもばあさんの拝み事が叶ったもんだからさあ大変 本物だぁと
村の衆たちが来るわ来るわ その後もにせぼとけにとってははた迷惑な偶然で村の悩みが解決しまくり
とうとう小さい宮まで作られて信仰されることに。 そしてみやこから鑑定する人がやってきて
有名な彫り物師の傑作かとみるんだけど「偽物 何の価値もない」でもちろん終わり
にせぼとけは「だからおらぁにせもんだいったべ ばあさま・・・」とつぶやくけどばあさん含む村の衆は
「ほんもんだぁ・・世間が偽物だといってもあんたさんは村の悩みを全部解決してくれたぁ
この村にとってはあんたはほんもんの仏さまだぁ」という偽物でも信仰されればほんぼとけになるという感動話

という感じでたとえ偽物でも拝み続ければその物質は本当に力を得るなんてことあるのかな?
まさに信心で効果なんぞないのに願いが叶う プラセボ効果のさいたるものだけど