>>246
「夢を現実と思い続ければ、必ず夢と現実が逆転する」という「法則」は、「わたし」の特殊性を無視して、一般的な観点をとっていますよね。しかしタイムリープに関係するのは、他でもない「わたし」の経験です。他の人全てがタイムリープしようが、その真偽は「わたし」には確認できず、ただ「わたし」が経験することだけが関係するのです。「夢を現実と思い続ければ、夢と現実が逆転する」ことは、共有可能な法則です。しかし同時に、「わたしが夢を現実と思い続ければ、夢と現実が逆転する」ことは、共有不可能な個々の経験です。そしてタイムリープの方法は、前者と後者が混じり合って紡がれている、ということを私は言いたいのです。共有可能性と共有不可能性とがごちゃまぜになりながら、新たな展開が生まれていく運動こそがオカルトでしょう。スレを読めば「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」と思いますよね。しかしそれでいいと思います。231の土台の法則を共有せねばならぬという態度は、その土台の外部を隠蔽してしまいますし、何よりタイムリープ経験において重要な共有不可能性の側面を見落としていると私は考えました。