その後もその道を本当は通りたくなかった。しかし、道はそこしかなかった。爺っこは常に、いつもそこにいた。
「来いへ、来いへ」とニコニコ笑いながら。しかし、臆病な俺は爺っこのそばへは寄れなかった。
何回通って何回無視しても、爺っこはいつものように「来いへ、来いへ」とニコニコ笑って言う。
しかし、俺も、同級生も、他のクラスのやつも、他の学年のやつも爺っこと握手するものはもういなかった。

1ヵ月くらいしたら、爺っこは姿を消した。次の日も、その次の日も。俺は内心諦めたのかと少しほっとしていた。
ある日の夕食、母が父に「〇〇さんの爺様(じさま)、死んだってな」と話しかけた。そう、〇〇さんとは
その爺っこが座っていた石が門前にある家のことである。聞いた瞬間、飯が喉を通らなくなった。
子供でも、「自分たちが無視したから、落胆して死期を早めたのか」ってことは感じた。

今でも実家に帰ると、家の周囲を懐かしく思い散歩している。しかし、さよなら爺っこの座っていたあの石を
見ると、だいぶ歳をくった今でも爺っこへの申し訳なさと当時の弱い自分への怒りがもやもやと湧いてくる。