当方母子家庭育ち。
小学校高学年時、何かの用事で勤務後の母と合流し、用事を済ませようとなった。
母は渋谷で働いており、渋谷までの電車賃を貰い、それだけ持って渋谷に向かう。
その頃はテレビ等でコギャルがどうこうとか援助交際だとか言われ始めた時期で、
渋谷のイメージは「ガラの悪い街」だったので、緊張しつつ初めての渋谷の街に降り立った。
渋谷に着いたら受け取った電車賃のお釣りで公衆電話から母の携帯に電話して落ち合う手筈だったが、
終業時刻まで余裕があったので駅前で時間を潰す。
と、近くで募金活動をしていた男性が歩み寄って来て、対面で募金を要求してきた。裕福な家庭でもなく、
持ち金も電話を掛ける分しかなかったため、一度はやんわりと断った。
その瞬間、男性の目付きや雰囲気がスっと音を立てて変わった気がした。
「それは、あなたのお気持ちがそういうことというわけですか?」
今考えれば間の抜けた質問だし、言葉遣いこそ丁寧なものだったが、先程とは雰囲気が違った。
やや険しくなった目付きで、こちらを見下ろす形で顔を覗き込まれて萎縮してしまった私は、ポケットに残った電話の為の小銭を募金箱に入れてしまった。
男は礼も言わず回れ右して元いた場所で募金の呼び掛けを再開した。
今だから言えるが、あれは募金という耳心地の良い言葉と罪悪感につけ込んだ一種のカツアゲだった。
高学年とは言え小学生に直接話し掛けて募金を迫るなんて、本当に募金活動だったかどうかも怪しい。
あれ以来、私の中に募金やボランティアといったものに対する抵抗感が生まれた。
24時間テレビや勤務先で社会貢献として義援金を募る動きがある度に思い出す。
恵まれない子供達、辛い思いをしている被災者、成程大変だ。金が有り余ってる奴が助けてやれ。
彼らと比べたら母子家庭や毎月カツカツな生活でも幸せな方?成程、じゃあ私と比べてマシな生活してる奴は私に金を寄越せ。
こんな思考回路になったのは、この体験のせいか、はたまた私自身の性根が腐っているせいかは分からんが、あの後味は未だに続いている。