>>980の詳細考察を少し…

伊勢族(またの名を赤石族)は、
朝霧(=明石〜垂水)→淡路島→紀伊半島→淡路島→朝霧→淡路島→紀伊半島→以下∞

この「行き来」を繰り返していたのではないのか、と私は考えています。

久志多麻命ー大名草比古命ー宇豆比古命
のご系譜の一族を首長とする伊勢族(赤石族)の一団が。

奈良県の
大和坐大國魂神社と
淡路島の
大和大國魂神社

とが、その「痕跡」であると考えています。

わたしはこの両
大國魂神社のご祭神である大和大國魂神
とは、上の系図で述べた
宇豆比古命(=椎根津比古命)のことである、と考えているからです。

そして、
その宇豆比古命をご被葬されている
五色塚古墳は朝霧にあるからです。

さらに、
その五色塚古墳は淡路島から石を運んできて築造されています。

この過程で、木国(紀国)の首長・名草戸畔命との関係/繋がりが出てくるのだと思います。
名草戸畔命の子孫であると主張する南方氏が、自分たちは建御名方命(建南方命)の子孫であるとも主張し、さらには南方氏とは=宗像氏のことである、
とも主張していることも重要な状況証拠の1つになります。