>>571 聖書は型というのがあって終末のこの世から脱出して御国へいくのは
出エジプトになぞらえることができる。出エジプトの時エジプトの民に
十の災いが起こってた時、ユダヤの民もエジプトに住んでて民だけ守られた。
終末に艱難前に携挙があるなら、出エジプトのときユダヤの民が出発したあとに
十の災いが起こらないと型が合わない。ダニエルが獅子の穴に投げ入れられたとき
主はダニエルを穴から助け出した訳じゃなかった。穴のなかで獅子とともに居て
その獅子から守られた。黄金の像を拝めと言われたメシャク、アベデネゴ、シャデラク
が七倍の熱くした炉に放り込まれたときも、主は炉から彼らを外へ逃がさず炉の中で
四人で談笑されてた。聖書のどの艱難でも艱難の前に全然関係ない場所に移される
ことはないのよ。主は神の栄光をお見せになるためにあえて艱難の中で
守られるのよ。