>>969
>よって、自分で考える、自分で表現する、自分でまとめる、というのは大切なのだろうなと思います。

えーと。未熟でゴメンw。 あんたの書いてる二元性での疑問。あんたの中で解決できない。この状態だよね。
そんで誰かがこれが答えだと答えだけ置いたとする。んでもあんたは「そうだ」ではなく「そうかもしれない」と迷う。
何故ならあんたにとって答えが正しいのか正しく無いのかも曖昧なままだから。
なのであんたの「式」だけに沿って、いろんな人間があんたの疑問の「式」についてだけに絞って意見を述べる。
そうすると、あんたはうなずける意見。真逆の意見を見る事になるんよ。これが他者の「式」であんたの式に他者の答えで無く式をあててって事。
そんで大抵は真逆の意見を見て読み飛ばすとかスルーしてしまうんよ。
んでも、その真逆の一言にあんたの疑問を氷解させる一言や気づかなかった事があったりもするんよ。
いずれにせよ、あんたが持ってる疑問を溶かしてくれる糧にはなるんよ。
それはあんたの疑問への結果(答え)ではなく「結論を纏める」ことなんよ。自分1人じゃ見えんかったもんとかも出てくる。
そんであんたは、あんた自身の答えを見極める糸口を多くもらえると。
人間1人の考えなんてたかがしれてるんよ。だからみんなが助け合って話しを紡ぐんじゃねーの?
あんたの疑問について「式」を投げてくれた人も、多くの他の人の式の中から「気づく」ことにもなるしね。

それからあんたが書いてる >自分で考える、自分で表現する、自分でまとめる、というのは大切なのだろうなと思います。
をおこなってもいいんよ。すると自分の中で考えの幅が広がってるってわけ。こんな考え方もあるってことっす。