>>92
分類が無意味とは言いません。
ただ、それはヒトの生み出す文脈においてのみ有効であるという点については、忘れてはならない事だと思います。
天さんのおっしゃる通り、やはり人知の及ばない怖い部分というのは存在し、それはヒトの持ちうるコンテクストとはまったく違う、すべてを薙ぎ倒すような巨大なうねりに通ずるかもしれないからです。
ヒトはそれを理不尽と呼ぶかもしれませんが、それこそ
「天地は仁ならず 万物を持って芻狗と為す」
という老子の警句に繋がるのかもしれません。
故に、分類について"執着する"のは無意味である言わざるを得ません。

魂が星の記憶の残滓のようなものであるならば、
今も昔も、我々が星の一部である事は変わりません。
一は全で、全は一というやつです。
色んな縁を得て、ひとつひとつの個が成り立っています。そして、その縁は分断し難い、掛け替えのない星の記憶によって結ばれたものです。
どのようなモノであれ、そうした膨大な時間と記憶を継承して成り立つものは、すべてが尊いと言えるでしょう。

ヒトがカミに押し付けたカタチに拘泥し依存したままでは、遅かれ早かれ、いずれ皺寄せが来てしまいます。
カミに頼る前に、精神の自立くらいはヒトが成し得て当然の課題にあると思えてなりません。