風水の話 2006-02-16  内田樹

学会で日本中の大学を経巡ったが、立地にそれなりの風水的配慮が見られるのは、
幕藩体制のころの藩校や江戸時代の私塾が母体になっているところだけである。
しかし、それらの伝統的な大学も「手狭だから」というような理由で郊外の空き地に移転したり、
無計画な建て増しをしたせいで、ほんらい備えていた風水の力は失われている。
とくに国公立大学がひどい。
たいていの場合、国公立大学は「そこに広大な空き地があったが、それまで誰もそこに住もうとしなかった場所」に建てられている。
そういう場所は風水が悪いから誰も住まなかったのに決まっているのだが、役人の想像力はそういう方面には機能しない。

風水の格好の事例はJR大阪駅前である。
駅の正面、北新地や堂島へ抜ける最高のロケーションにいくつか大きなビルがある。
なぜかこれらのビルにはあまりテナントが入っていない。
入ってもすぐにつぶれるらしく、次々と入れ替わる。
夜の8時頃になるとあかりが点っている部屋もあまりなく、ビル全体がどんより暗くなり、
繁華街の真ん中にエアポケットのように「暗く寂しい場所」が拡がっている。
よほど感覚の鈍い人間以外はそれらのビルに寄りつかない。
風水が悪いからである。
JR大阪駅は明治時代に商都大阪のいちばん北のはずれの「何もない空き地」に建てられた。
梅が生えていたので「梅田」と呼ばれていた淀川のだだっぴろい河川敷である。
いまの北新地までと、その北、JR大阪駅までのあいだにはあきらかに「湿度」の段差がある。
たぶん新地までが「硬い地面」で、その先は蛇や蛙が盤踞する「ぬちゃぬちゃした沼地」だったのだろう。
沼には「沼気」というものがあり、「瘴気」に通じる。
そういうものが完全に消えるまでには100年程度の時間では足りないのである。

こういう話をすると、ほとんどの男たちは「何を非科学的な」と気色ばむ。
でも、女子学生たちはたいてい深く頷いてくれる。
彼女たちにはわかっているのである。