アセンションはすでに始まっているphase221
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◆約束事
・お互いを尊重しあいましょう。
・分からないことがあれば、真摯に質問してみましょう。
・頭ごなしの否定は禁止です。
(なるべく理論や自論を展開して論理的且つ建設的に推論してください、ソース等を出せる場合は出した方が良いでしょう。)
・議論に発展した場合はコミュニケーションによる“解決”を放棄しない様に皆さんで模索してください。
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◆注意事項
・あらゆる情報を鵜呑みにしないこと。
・極端な連投は慎みましょう。
・レス番号>>950を踏んだ人は丁寧に次スレをたてる取り組みをして下さい。
(出来ない場合は誰かに依頼してください。)
※前スレ
アセンションはすでに始まっているphase220
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/occult/1552982267/l50 >>880 次元の違いとは、何かが解るか解らないかの認識の違いだけのようだから
SEXのこともわからないのに?( ´,_ゝ`)プッ
人生の体験もろくにないまま宗教や正義感に嵌ってるからオカルトになっちゃうですよおw いつもどこかに神様を求めてるなら神様はいつもそこにいらっしゃるじゃろ。
ほら、お前の人生そのものじゃろ。それがわかればまず第一歩じゃ。
お前の現実、理解にあった程度の神にしかならんがの。
神様の話はどんどんしなされ。偶像崇拝を超えたところから先人の発見が理解
できるようになって会話も弾み理解が深まるぞ >>954,955
なるほどw
チラウラババアさんでしょ
ご指摘ありがとう。 魔物はみんな高いところにいる気分で、神さえ自分の下にいるかのように
もう何回も転げ落ちて痛い思いしてるんだけど、それで成長してると信じてる
今でも転げ落ちようとしてるのにww >>954
まんこでちんこをしゃぶり尽くすのは
天にも昇るようなコロゲ堕ちるような
えもいわれぬ離脱感かい
もう解脱してる気分?w 魔物は経験や実体験や知識の形体のみに拘るけど
因果を法則とした理解して、なにからに意味も理由も論理も
常に先行してあることを知る深い意識の想像は
きっと実体験や知識を遥かに超えていると思うよ
たとえ年齢が一桁であっても大抵のことは知れる。 ○法則として
ちらうらばばあはただの普通のアフォ。 この世が因果の連鎖と知れば、わざわざ身体をボロボロにしてまで
幽体離脱して未確定で不確かな未来など見に行かなくとも
今の現実をよく視れていれば、過去や未来や意味や理由
その時々の人の思いや感情や感覚さえ視得ているかも知れない。 まぁ今の世界が滅びてない状況なのは選択が誤ってないのかもしれない 意味や理由や論理を知れば、なんでも実現は可能だと思う。
霊界人は、思った時点で実現してるとまで言い切る。
現象的な因果が時間を経過させるが、その間迷いなく行動出来る者は
なんでも実現させている。
ただ、実現してどうなるのかなぜ必要なのかなにを得られるのか得るのか
ただ実現しただけでは空しいガラクタ?
どこまでも大事なことは、意味や理由や感慨や認識?
それが分からずに死ぬまで生きても狂うだけ? 唯物を信じる常識人たちだけが、この世で急いで結果を出し
もとを取ろうとして取れなくて、狂ったり混乱したり呆然としたり ジョーカーに援護されて媚びて笑う世界を黒く塗り替えてみたい 精一杯全うし死んだらなれるよ
でもドナー登録を忘れずに 【カルト系新興宗教と病的な霊的観念】
彼等・彼女達は「表」では善・正義・愛などを説きます。ペルソナとシャドーの原理で見た場合、
「表」は善・正義・愛の顔、
「裏」は復讐心・怒り・不満、あるいは「祟り」と表現した方がわかりやすいですかね。
そしてその両者が「共に自身のひとつの無意識の分離的現れ」でしかないことを理解せずに、「表」が自身で「裏」は他者にされ、
外部(世界)に排斥・投影されます。
こうやって自身は「神や仏」「愛や正義」の傍にいると思い込むわけで
【 絶対的存在・自称神・自称ブッダ 】などの指導者が率いるカルト系の新興宗教・思想系組織・団体などに
ハマる人というのは、「※ 世間・人を徹底して攻撃的に裁く傾向性が強い人」の割合が高く、これは彼等・彼女たちが
その観念に同化した時から徐々に自己の全体性から分離し『否定された一方を「他」にして投影する』という自我構造に変化していくからです。
ですが、本質的には、こういう人たちの状態こそ、「神や仏」「愛や正義」から最も遠い状態なんですね。
「最も遠い」から、そういう極端な観念・極端な人物に近づき一体化し
「こちら側」と「そちら側」を作り、そして「自分はこちら側にいる」で安心し同化一体化する依存心理状態なんです。
「自分は宗教観念と同化一体化した表の顔(ペルソナ)」だと思い込んでいる状態ですが、実は「より本質的なもの」は
「抑圧化された裏の顔(シャドー)の方が彼等・彼女たちのの本当の顔・心・精神の姿」です。
それが「あぶり出される」のが「不幸」「災難」「苦難」という「時」と「空間」が生み出す強力な心的力動です。
ヒトが恐怖や不安に囚われ、社会が混乱しているタイミングで「天罰」とか「神の意志」とか
そういうことを語る者達こそ、国民の「友」でなく、社会にとって有害で「腐敗した心・精神」なのです。 http://antikkuma.hatenablog.com/entry/2012/12/25/054330
■教団を批判すると、「それはあなたの問題だ」と逆に反省を求められる
これも必ずあるパターンです。教団の否を責めると、「それはあなたの心の問題だ」という風に反省させられるのがこの教団のやり方です。
そりゃあ、確かに、人間というのは、誰しも何かしらの欠点はあるものです。
その点を責められると真摯な修行者であればある程、黙って自己反省を行ない「悪いのは教団ではなく自分だったのかな」と思います。
でも、これは問題をすり替えられているだけです。
こうして教祖や教団の悪は幾ら指摘しても、決して訂正されることなく放置されます。
だから、発展が止まり衰退が続いています。
立派な教えを説いていても、つくづく実践ができない団体なのだなあと思います。 仏教の沙門見りゃとにかく修行法しか書かれてないが?
あと禅説いた本山あたりの基本概念は身体を鍛えろ!こんだけ 身体を鍛えてる途中で逃げだしたら強制収容所送りニダ(°▽°) 独房送りとなり本人が反省するまで食事すら与えられない厳しい罰則すらある 因果応報、自己責任と言って、今まで何人 人生の隣人を見捨ててきたことだろう。
口で言葉だけの「愛」を唱えても、その心の冷たさのどこに《愛》の想いがあるのだろう。
己を神と名乗る不遜な人間を本当の神仏であるかのように錯覚し、詐欺師の片棒を担いで、
多くの人々のこころを誤った霊的差別思想へと誘った罪は教祖だけでなく、信者ひとりひとりにも降りかかる!!!
知らなかったと言っても、あんな俗物を本来の神さまだと思っていたのか。
なぜそれを見抜けなかったのか。
その無明を恥じよ。
本当の神はいかなるものだと思うのか、それが確かならば見抜けるはずである。
自ら尊しと名乗り 自らの説いた法すら実行できぬ者と道連れになってはならぬ。
今世、詐欺師と道連れになって三世の悔いを遺すなかれ。
君は今世、偽物の自称神を見抜けるかどうかのテストをされているのだ。 http://oklucky.blog.shinobi.jp/Entry/242/
幸福の科学では、大川隆法の教えや方針に疑問を持つと
「疑の心」を持ったということで裁かれます(もしくは自分を裁きます)。
これが、真実を知ろうとするときに邪魔をするのです・・・。
幸福の科学の洗脳の言葉
「先生の深いお考え」
「疑の心」
「偽物の自分」
「主のために・・・」
「エルカンターレ文明建設」
「便所の落書き」
などなど・・・。
いたるところに、仕掛け(洗脳のキーワード)がいっぱいです。
これらの仕掛けを乗り越えるにはきちんと自分の力で考えることが必要です。
外の情報をたくさん知ることです。
そして幸福の科学的な「偽の心」で一度だけでいいので
「大川隆法がもし仏陀じゃなかったら・・・」って仮定してみてください。
「大川隆法がもし詐欺師だったら・・・・」って考えてみてください。
もしかしたら思考停止から回復できるかもしれません。 配達員が女だとアセンション
労働者がAIになるともっとアセンション
貧富の差なくコンシェルジュだともっとアセンション 資本主義はズルできるのが問題
ズルできるので貧富の差も不満に繋がる
貧富は選択できるなら問題ない 罪人であっても、赦しなさいというのがイエスの教えですが、現代人の問題点としてあるのは、罪人意識が希薄だという点です
ピノキオからアナ雪の変遷によって、キリスト教世界においてすら罪人という概念が消えたことが立証されています
罪は赦される、しかし、罪を自覚していない人の罪は、本当に赦され得るのか、というのが私の視点です
そして罪の自覚というのは、第一義的には神に対してのものなのです
聖書神学に肉の罪という言葉がありますが、「サルクス(肉)とは、創造主である神から背き去り、いのちの源である真の神を見失って、生まれつき罪に傾く性質を帯びた人間、また、その性質を意味する」とあります
この文脈で言えば、煩悩に従って金などを追い求め、ハラハラドキドキの冒険をし続けると、神からはどんどん離れていくので、それは明確に罪なのです
しかし、罪の自覚さえあれば、赦されうる
しかし、現代人は煩悩を罪であると認識していない
ここに現代社会の闇が存在しており、煩悩を肯定することによって煩悩に支配された窮屈な世界を構築しているわけです
その世界は第一義的にはコストによって支配され、愛に基づく支配はありえないわけです
ここで、悔い改めには、全面的改心と、罪の自覚の二つの段階があることを明言しておきます
罪の自覚さえあれば、その罪は赦されえますが、全面的改心を"瞬間的に"でも行えれば、肉の罪からは徐々に開放されていきます(マーラからの解放と同じ意味になります)
瞬間的に、と書いた理由は、全面的改心を継続して生きていける人間など一人も存在しないからです
人間は生きている以上は肉の罪の性質を帯びていますから、そこから完全に開放されるということは不可能なのです
完全な存在が神であるとして、神に瞬間的に近づくことは可能であっても、完全な存在としての神として生きることは私達にはできません
つまり、全面的改心に到達したと感じたとしても、罪を自覚しながら生きていくことになる
それが赦しを得る条件になるからです ちなみに、面白いことを求めるという性質も、恐らく肉の罪の一つであり、煩悩の一部であると考えています
しかし、ハラハラドキドキの冒険をして行くと神から離れていく一方で、面白いものの中には神を感じられることもありえますから、この煩悩の性質はツールとして活用するべきなのです
伝統的な文脈においては、世界中の宗教で、面白いことを求めること自体が罪であるとして禁欲的な修行を行ってきましたが、それはかえって神から離れてしまうことに繋がりかねません
近代インドに光に溶けて消えたというラーマリンガという聖者がいますが、彼は神を想うことが何より重要であり、禁欲的な修行を行うのは間違っていると言っているそうです
イエスという人物も神を想うことの重要性を説いていますが(そして空中に消えたとされる)、私たちはこれらの聖者の方法論を参考にしつつも、現代的な文脈における面白いものの持つ神秘という方法論を採用するべきでしょう
何故ならば、彼らは明確に宗教的な天才であり、私たちは普通の人間なのですから
そして、私たちは神の愛のもとで自由に生きてよいのですから、人に著しい迷惑をかけない限りでは、好きなことをして生きても神はお赦しになると考えます
しかしそこには常にサルクスとしての人間が存在しているのだということを自覚する必要があるわけです このスレッドは1000を超えました。
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