>>797
播磨国風土記の現代語訳者が
「明石郡であろう」
と書かれていたんですが、
ちょっと内陸の方じゃないかと感じるので、伊予族(亦の名:播磨鴨族)である可能性もあるかもしれません。
いずれにしろ、皆、元は同族ですし、
伊予族と伊勢族(亦の名:赤石族)
との婚姻もものすごく多かったように思います。

過去ログにも書きましたが、
ウル様ご一行のご来着以降は、土着の3ないし4部族は、みんな、
このウル様グループ(=伊都族/亦の名:久米族)
が、それぞれの在地部族へぐるぐるぐるぐる招婿婚(妻問い婚)して回ることによって
婚姻をしていったものと思われます。

したがって、
それ以降は、少なくとも首長層においては
純粋な意味での
伊勢族/伊予族/伊和族
というのはいなくなって、
みな、
伊勢都族/伊予都族/伊和都族
と称した方が表現としては正確であると思っています。