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なぜ電通ではなく、博報堂?

児玉誉士夫
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%90%E7%8E%89%E8%AA%89%E5%A3%AB%E5%A4%AB
児玉が圧力をかける時は今澄のときのように傘下のメディアを駆使した。
利用された大手メディアに博報堂がある。その中に児玉は次の二つの目的を持ったセクションを作った。
一つは、博報堂の取引先を児玉系列に組み込む。
もう一つは、その系列化された企業に持ち込まれるクレームを利用してマスコミを操作し、なびかないメディアには広告依頼を回さない。
このセクションは広告会社として品位に欠けた。
そこで、当時の博報堂の持ち株会社であった伸和の商号を、1975年に博報堂コンサルタントへ変えて、
また、定款にも「企業経営ならびに人事に関するコンサルタント業務」の項目を加えて、この元親会社に業務を請け負わせた。
役員は、広田隆一郎社長の他に、町田欣一、山本弁介、太刀川恒夫が重役として名を連ねた。
広田は、福井純一博報堂社長の大学時代ラグビー関係者で、警視庁が関西系暴力団の準構成員としてマークしていた人物。
町田は、元警察庁刑事部主幹。山本は元NHK政治部記者。太刀川は塚本素山ビルの等々力産業社長で児玉側近の第一人者であった。