主なる神様は肯定も否定もしない。
神霊や人に選択の自由を与え、その自由を尊重している。
選択に良いも悪いも言わずなんだ。
それが肯定と映るだけで、二元の肯定ではないんだ。

時として神霊や人がそれを勘違いしたり、都合よく利用する。

自己の責任においてが大事なのだ。