【実践主義】日月神示 行・実践報告スレ 第一巻
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このスレは日月神示に書かれている教えを如何に生活で実践しているか報告するスレです。
今日、具体的に実践した内容を書き込んだり、日々の生活についての情報交換したりすることを目的にしています。
予言的な事柄や秘教的な内容のレスはスレ違いです。
そのため暗号的なレスを延々と書き込んだり、自分流の日月解釈を書き込む人はスレ違いです。
ちゃんとした日本語を使い、コミュニケーションをとる意志のある人がスレ参加者になれる資格を持ちます。
>>1->>20でスレを保守し、>>21以降にスレ主が日々の生活で実践している内容を少しずつ紹介していきます。
自分はこういう風な事をやっているという人がいたら是非とも書き込んで教えて下さい!!
それでは、スレッドスタート!!!! 「与えることは頂くこと」
神示の言う「行」とはその与えること。
いくら神社を参拝しようが、礼拝しようが、音読しようが、
人に喜を与えない限り、キ(お蔭)はやって来ない。
「皆の者喜ばせよ。その喜びは、喜事(よろこびごと)となって
天地のキとなって、そなたに万倍となって返って来るのざぞ。」
そのキが命の源。枯らせば命は無い。自滅。 行の話題が音読、礼拝、参拝だけだからね。
文字面だけを追えば僧や宗教儀式と変わらなくなっちゃう。
神示の神様はなぜ「道」と説かれたか。
道を念頭に入れた行じるとは何かを考えてみるのも良い機会かもしれない。 御母様にベジカレーを作らせていると書いていてちょっと引いた。
てめえで作れよと言いたい。
仕事の愚痴、ご飯はママに、音読、礼拝、参拝ばかり。
おろがむ(拝む)を誤っているようか気がする。
自分のことは自分でし、自分の部屋、家の中をきちんとし、家族への愛と奉公感謝を実践し、その上で何かをするならまだ尊い。
地に足つけず、足元おろそかに宙に浮いている感じを受けてやまない。 神示への取り組み方への問題よりも、実生活への取り組み方こそが神示の道にかなうのではあるまいか。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています