石じじいの話です。

みなさんは、「人形液」というものを知っていますか?
これは、昔、日本人形の肌の表面を汚れや傷からまもるために用いられた一種の樹脂です。
昔の人形の肌は貝がらをすりつぶしたもの(胡粉)を使っていたので、はかなり繊細で美しいものでした。
しかし、柔らかく傷がつきやすく汚れがつくと落ちにくかったのです。。
その対策として昭和のはじめごろに考え出されたものだとか。

じじいは、面白い石をとることができる比較的近場の採集地にトラックの定期便に便乗して通っていました。
ある日、山に登るところの集落で、一人の少女を見かけたそうです。
彼女は、農家の前で歌を歌っていました。
『それはのう、「門付け」ゆうもんでのう。まあ、ゆうたら乞食(ママ)よ。」
しかし、家の人はだれも出てきませんでした。留守だったのかもしれません。
じじいは、不憫に思って彼女に声をかけて話を聞きました。
彼女が言うには、母親と二人で住んでいるのだが、今、母親は病気で伏っていお金がないのでこうやってお金を乞うているのだ、ということでえした。
彼女が言う彼女たちの住処は、じじいの行く方向とは逆だったので、少しのお金をやって別れたそうです。
その日、帰るときに村の人に訪ねたところ、その母子は数年前にどこから流れてきて村外れのお堂(そのころは廃されていた)に住み着いたのだとか。
(昔は、そのような人を「ほいと」、「ほいど」などと呼んでいました。)
母親は、そのときは元気で手先が器用だったので、竹箕の修繕や農作業の手伝いをして金を稼いで生活をしていたと。
彼女たち以外の家族や親戚は空襲で全滅した、ということでした。
、よそ者でしたが戦後の混乱期だったので、不憫なことと思って村の近くでの滞在を許したそうです。
母親の人間性も良かったからだとも。
別に、彼女たちを嫌って特に冷たく接している様子は地元の人間には見られなかったといいます。
ただ、少し前から母親は病気がちとなり、あまり外出しているところを見かけることがないとのこと。
(つづく)