倫理という概念は、最終的に結局宗教論に行きつき、宗教論は神を最終的に崇め奉る事に多くが繋がる。
人間は損得を重視して生きている。
善人は報われ、悪人は地獄へ落ちる落ちて欲しいという理屈が神を求める最大の要因で、
この宇宙では最終的にどこであっても損得の結果を明白に求めていて、
悪人によって損をさせられた分は、悪人はより地獄へ行く事で清算されるという事を求めている。
その部分の精神を神が最終的にやってくれるという代行させる精神を生み出させる事で
人の復讐心を逸らし、悪人が人の恨みの気と復讐を被らない結果を求める事を
つかみどころのない神に逸らす事で逃げることが可能となったというだけだ。
つまり、それを悟った人々は、正常な利益と損得の為に正義を追求したい人の精神は
神に頼らず自らが神となり恨みや憎しみを晴らし、今まで騙されただけで善人は報われなかった社会に対する
復讐をかねて、地獄と天国を自ら作り出す社会へと変貌していく可能性があるという事だ。
人と科学はその方向性に向かっていくのだ。
そして結局は朝鮮人のような人の心と宗教を悪辣に利用した屑どもは地獄へ落ちるという事だ